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[T8] 報道:チベット自治区40周年

毎日新聞サイトから チベット:成立40周年 中国、ダライ・ラマの批判控える  【

-件のコメント

[C30]

私は中国語が読めないのですけど、ダライラマは左の人ですか?
あと下の方に胡錦濤が写ってますね。たしかこの人チベットの暴動を鎮圧した人ですね。
かなり酷いことをしたと聞いてますが事実なんでしょうか?
お坊さんを串刺しにしたとか。

[C31]

> faust さん
コメントありがとうございます。

ダライラマは左とか右とかという感じの方ではないんじゃないかなと思います。ただ、彼の自伝の毛沢東との会見について書かれているところで、「仏教と純粋なマルキシズム理論との統合によって政治を導く効果的方法を編み出しうるのではないかと考えたのであり、今でもその可能性を考えている」(『ダライ・ラマ自伝』文春文庫、151ページ)と述べているように(若干の懸念も表明していますが)、マルキシズムに対して一定の理解は示しているようです。

胡錦濤は、1989年にラサに戒厳令が布かれた時の共産党チベット自治区委員会書記を務めていました。暴動鎮圧の際に如何なることが行われたのかについては諸説ありますが、現地の責任者だった胡錦濤の判断というより、党中央の決定だったのではないかと思います。

[C32]

私の言葉が足りなかったようです。左と書いたのは、こちらのリンクさきの一番上の毛沢東といっしょに写っている写真の左がダライラマかといったといった質問でした。
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2005-08/23/content_3394201.htm
あと、オルブライト元国務長官の回顧録に書いて質問にもお答え願えれば有難いのですが。

[C34]

> faust さん

あっ、そういうご質問でしたか・・・。思いっきり勘違いしてました、すんませんm(_ _)m
写真の中で、毛沢東の左にいるのは若き日のパンチェンラマ10世、右がダライラマ14世ですね。

[C35]

北京に行ってきました。雍和宮では、歴代ダライ・ラマ+パンチェン・ラマの展示てのがあり、ダライ・ラマ14世についてもコーナーがあり、1959年に「叛逃出国」となってたんだけど、この箇所は何か別の記述の上に紙を張って、そう書いてありました。モトの記述は何かと思って見てみたけど判らず。

モトはもっとやわらかく書いてあったが、昨今の情勢で「叛」としたのか・・・。

これまでの経緯からみてどうだと思います?
  • 2005-09-01
  • ちべ者〔管理人)
  • URL
  • 編集

[C36]

興味深いポイントですね、っていうかチェック鋭すぎです^^;
ソフトなトーンだとしたら、「逃走出国」とかですかね?「叛逃」はやっぱモロ「叛乱」ですもんね。

あとは、その「叛乱」を起こしたのが「当時のチベットの上層集団」でダライラマは彼らに連れて行かれたとするのか、ダライラマ自身の意思で出国したのか、という点もチベットをめぐる情勢の変化で違ってきてるような気がします。

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《報道》チベット自治区設立40周年関連

1965年に「チベット自治区」が成立してから今年で40年ということで、『人民網』や『新華網』で記念・祝賀活動の関連報道が目立ってきました。

『人民網』の特集ページ→http://politics.people.com.cn/GB/8198/50050/index.html
『新華網』の特集ページ→http://www.xz.xinhuanet.com/zhuanti/daqing/index.htm

なんか、新華社の方が花火が上がったりして、ミョーに気合いが入ってるというか、ハデな感じがします・・・。

27日には、全国政協主席の賈慶林を団長とする中央政府代表団が祝賀行事出席のため、ラサ入りしたと報じられました(新華網)。
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2005-08/27/content_3410956.htm
上記報道によると、副団長は共産党政治局委員にして公安担当国務委員の周永康、統一戦線部部長の劉延東、解放軍総参謀長の梁光烈(ンガプー・ンガワン・ジグメも副団長になっていますが、北京残留。高齢のため?)。なお、デモ等を警戒しているのか、行事の日程等、詳細はまだ明らかにされていないようです。ま、1965年の9月1日に自治区第1期人民代表大会会議が開催され、同月8日にンガプーを政府主席に選出したりしているので、この間辺りかなと思います。

また、『人民網』によると、これに先立つ26日、北京で胡錦濤総書記の主宰による政治局会議が開かれ、チベット政策が討議されたとのことです。記事をざっと読んだ限り、あまり新味は感じられるものではありませんでしたが・・・。
http://politics.people.com.cn/GB/1024/3647248.html

あと、「共産党中央の配慮とチベット自治区成立40年」と題する『新華網』の記事があるんですが、いきなりダライラマ14世の写真が出てます。といっても、1954年に北京でパンチェンラマ10世とともに、毛沢東と会見した時のもの。何かを示唆しているのか、それとも単に「歴史資料」としての扱いなのか、やや気になるところではあります。でも、国営通信社がダライラマ14世の写真をサイトに出しといて、チベット族には「そういう写真は持ってはならん」と言うのもちょっとヘンな気もします。
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2005-08/23/content_3394201.htm
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[T8] 報道:チベット自治区40周年

毎日新聞サイトから チベット:成立40周年 中国、ダライ・ラマの批判控える  【

6件のコメント

[C30]

私は中国語が読めないのですけど、ダライラマは左の人ですか?
あと下の方に胡錦濤が写ってますね。たしかこの人チベットの暴動を鎮圧した人ですね。
かなり酷いことをしたと聞いてますが事実なんでしょうか?
お坊さんを串刺しにしたとか。

[C31]

> faust さん
コメントありがとうございます。

ダライラマは左とか右とかという感じの方ではないんじゃないかなと思います。ただ、彼の自伝の毛沢東との会見について書かれているところで、「仏教と純粋なマルキシズム理論との統合によって政治を導く効果的方法を編み出しうるのではないかと考えたのであり、今でもその可能性を考えている」(『ダライ・ラマ自伝』文春文庫、151ページ)と述べているように(若干の懸念も表明していますが)、マルキシズムに対して一定の理解は示しているようです。

胡錦濤は、1989年にラサに戒厳令が布かれた時の共産党チベット自治区委員会書記を務めていました。暴動鎮圧の際に如何なることが行われたのかについては諸説ありますが、現地の責任者だった胡錦濤の判断というより、党中央の決定だったのではないかと思います。

[C32]

私の言葉が足りなかったようです。左と書いたのは、こちらのリンクさきの一番上の毛沢東といっしょに写っている写真の左がダライラマかといったといった質問でした。
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2005-08/23/content_3394201.htm
あと、オルブライト元国務長官の回顧録に書いて質問にもお答え願えれば有難いのですが。

[C34]

> faust さん

あっ、そういうご質問でしたか・・・。思いっきり勘違いしてました、すんませんm(_ _)m
写真の中で、毛沢東の左にいるのは若き日のパンチェンラマ10世、右がダライラマ14世ですね。

[C35]

北京に行ってきました。雍和宮では、歴代ダライ・ラマ+パンチェン・ラマの展示てのがあり、ダライ・ラマ14世についてもコーナーがあり、1959年に「叛逃出国」となってたんだけど、この箇所は何か別の記述の上に紙を張って、そう書いてありました。モトの記述は何かと思って見てみたけど判らず。

モトはもっとやわらかく書いてあったが、昨今の情勢で「叛」としたのか・・・。

これまでの経緯からみてどうだと思います?
  • 2005-09-01
  • ちべ者〔管理人)
  • URL
  • 編集

[C36]

興味深いポイントですね、っていうかチェック鋭すぎです^^;
ソフトなトーンだとしたら、「逃走出国」とかですかね?「叛逃」はやっぱモロ「叛乱」ですもんね。

あとは、その「叛乱」を起こしたのが「当時のチベットの上層集団」でダライラマは彼らに連れて行かれたとするのか、ダライラマ自身の意思で出国したのか、という点もチベットをめぐる情勢の変化で違ってきてるような気がします。

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プロフィール

ryohei

  • Author:ryohei
  • 大学院で現代チベット研究をしています。
    4年前、中国・北京で仕事をしていたときに何故かチベットに
    目覚めてしまい、今に至ります。

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